36『オキナの声と共に』



 私は一人だが悲しくはない。
 私には頼るものがないが心細くはない。
 私に聞こえる声はないが寂しくはない。

 私の手には一通の手紙が握られている。
 あなたからの励ましの言葉がつまった手紙が握られている。

 あなたはいつも傍にいる。
 あなたはいつも私を支えてくれている。
 あなたはいつも私に話し掛けてくれている。

 あなたは今ここにはいないが。
 あなたは確かに私のどこかに存在している。



 暗闇の中を一塊の光が規則的に揺れながら進んでいた。
 その光の中心には球状の発光体があり、その光に照らされて姿を現しているのは灰色の目と髪を持つ、筋肉質の男・ファルガール=カーンが歩いていた。
 片手には食料やら寝袋やらを詰めた荷物を持ち、もう片方には真新しいノートを手にしている。

 Dr.オキナ=バトレアスによって導かれ、大決闘場からこの“ラスファクト”への道に入って既に二日間が経過している。
 目の前にある自分が魔法で生み出した発光体きり光源はない。その世界は見事なまでの闇で、発光体が照らし出す範囲外には世界が無いのではないかという気すら起こる。
 彼が歩くのは大抵狭い回廊だった。大決闘場と同じで綺麗に整備されている。
 大体、同じ景色が続くのだが、少し妙なところがあらわれると、ファルガールはすぐさまオキナに貰ったノートを開く。

 今彼が前にしているのは二つに別れたY字路だった。
 さて、どちらに進むべきかとノートを見る。

『そのまま進んで行くと、Y字路がある。右か左かと考えるところだが、右に行けば行き止まり。左に行けば地下滝のある大空洞に行き着くだけだ。
 正解は真ん中だ。別れている辺りに一つだけ傷の付いた床板がある。その上に立ち、“ルケ・ヌリス・エマノメ”と唱えろ』

 ファルガールが注意深く床板を見ると、そこに目立たないが、よくみるとやけに傷が多い床板が見付かった。
 そしてその上に乗って書いてある通りの呪文を口にすると、床板が光りファルガールは一瞬にして全く別の場所に移動した。
 後ろを振り向くと、行き止まりだったが、見覚えのある角度で端の幅が狭まっている。
 移動する時にも何となく感じたが、どうも壁をすり抜けたようだ。

(……相変わらず、素直じゃねェ仕掛けだな)

 同時にそんな素直じゃない仕掛けを良く調べたものだ、とも思う。
 二日経ち、数えきれないくらいこのノートの世話になった今も驚かされっぱなしだ。
 始め、ファルガールとしては“攻略本”を読んでズルをしているようで何となく釈然としなかったが、今はその考えは完全に改まっていた。このノート無しでは何十年掛かっても“ラスファクト”には辿り着けない。
 このノートは一貫してファルガールに話し掛けるような文体で書かれており、ファルガールはこの暗闇の迷宮での孤独感をあまり感じないでいられた。
 もちろん最初、ファルガールは一緒に行ってくれるように頼んではみたのだが、オキナはそれを断った。
 曰く「新しい仕事があるのだよ」との事だ。
 新しい仕事があるのならば仕様が無いとファルガールは諦めたが、このノートのお陰で傍にはいつもオキナの存在を感じる事が出来た。

 また回廊をしばらく歩いて行くと、少し広くなった小部屋に出た。
 例によってノートを開いてみる。

『そこは単なる休憩所で、何の仕掛けも無い。丁度いいから食事でもとっておけ。この先に体力のいる仕掛けが待っている』

 驚いた事に、オキナのノートには休憩や食事をとるべき場所も事細かに記してあった。光の無い生活で彼の生活基準を決めているのは実際の一日とは少しずれのある体内時計でも、腹時計でも無く、もっぱらオキナのノートだった。
 ファルガールはその場に座り込み、用意してきた食料である、パンに干し肉、干しぶどうを出す。
 カップに水をいれて魔法で沸騰させ、何やらねじれたヒモのようなものを入れる。それにしみ込んだものがお湯の中に広がってスープができる寸法だ。ヒモのようなものは言わば麺類で、食べる事ができる。
 食事の片手間、ファルガールはノートに目を通した。

『これが最後の休憩だ。つまり、今日中に君は“ラスファクト”を目にする事ができる。それをどうするかは分からないが、どうしようと私は関知しない。好きにするがいい。だが、君なら誰よりも有効に使ってくれるのではないかと私は思う。
 君はこのノートに何度も頼り、良く調べたものだと驚いた事だろうと思う。全て私の研究の賜物、と言いたいところだが、何も驚く事ではない。
 あの入り口を見付けたのは確かに私の成果だった。しかし、その入り口に入った所で私は一つの古文書を見付けた。私はその古文書を解読し、実際に合っているのかある程度確かめた上でこのノートを書き、君に託しただけなのだよ。
 私が古文書の正当性を確かめるために実際に来たのはここまでで、この先に歩をすすめるのは君が初めてになる。このノートも間違っているところはでてくるかもしれないが、実際に来た時もほとんど修正せずに済んだので、先ず間違いはあるまい』

 こんな調子でノートには休憩を入れるように指示した際には自分の研究に関する思いやエピソード等が書かれていた。
 お陰で休憩の間、ファルガールは退屈をする事がなかった。
 しかしオキナは見付けた古文書を解読しただけだ、と他の人にもできるような調子で言うが、そもそも入り口を見つける事ができたのはオキナだけであり、それこそ執念の賜物である。そして古文書の解読も難航を極めたに違いなかった。
 やはり“ラスファクト”を見つけるのはオキナでなければ出来ない事だっただろう。

 食事を済ませ、一息付いた所でファルガールは出発した。
 オキナによるとここからは休憩せずに“ラスファクト”に行き着けると言うのだ。イヤでも気合いが入る。

『その部屋を出てしばらく行くと、地下川が横切っている場所に出る』

 果たしてオキナの書いている通りに川が見えた。
 そこに至る間でもだんだんと水の流れる音が響いていた。

『その川の上流に鉄の輪がある。それを引っ張れ。ちなみに鉄の輪は水の中にある。それに上流に行くには水の中を通るしかない。しかも途中で流されると戻れる可能性は低いので、そのつもりで』

(……体力のいる試練とはコレの事か)

 今までは人間の頭の柔らかさを試すような知的な仕掛けが多かったのだが、暗闇を歩き続け、体力的にも精神的にも参ってくるところを見計らったように体力のいる仕掛けが来るとは。
 しかも、地下水は大抵冷たい。

 ファルガールは魔法で荷物を風船のように浮かせた。そして、ノートも水に濡れないようにその荷物の中に入れる。
 そして、意を決すると、ざぶんと川の中に飛び込んだ。
 川は流れが急だったが深さは腰の辺りまでだった。
 時々流れに足をとられたり、水底で足を滑らせたりして危ない場面はあったがどうにか流れに逆らって上って行く。

 しばらく歩いて行くと、流れが滝になっていた。
 良く見るとその流れの中に大きな鉄の輪が付いていた。
 躊躇せずファルガールはその中に手を突っ込み、輪を引く。

「ふんっ……おらっ……」

 しかしなかなか輪が引けない。
 何度も根気良く試したが、鉄の輪はびくともしなかった。

「このっ……くそっ……はぁはぁ、……ぐわっ!?」

 ファルガールの頭の上に何かが落ちてきた。結構なスピードもあったので流石のファルガールも昏倒し、少し流されてしまった。
 なんとか立ち上がりまだ頭の上にあったそれを引っ掴んで見ると手桶だった。おそらく井戸に吊るされていたのが流されてしまったのだろう。
 しかしこの時点でファルガールの理性は切れていた。

「手こずらせやがって……この俺様の手に掛かればこんなモン!」と、言って彼は《一時の怪力》を唱え、思いきり引っ張った。

 果たして、鉄の輪は中に繋がっていた鎖とともに引かれた。
 すると、川の両側にあった扉が同時に開かれる。
 右側にはいつも通りの通路が。
 左側にはたくさんのクリーチャー達が。

「え?」と、ファルガールは目を丸くしてノートを急いで取り出す。

『なお、鉄の輪を引く時には力加減に気をつけるように。引きすぎても通路は開けるが、ついでにクリーチャー達を閉じ込めてある扉も開いてしまう』

「そういう事はもっと先に書いておけェ……ッ!」

 ファルガールのそんな声とともに、クリーチャー達が目を光らせた。
 しかしいかに“大いなる魔法”の生み出す超自然生物・クリーチャーといえどもファルガールの手にかかれば赤子も同然である。
 数分後にはクリーチャーの死体の山が築かれていた。
 しかし、クリーチャーは後から後から増えて行く。
 キリがないと判断したファルガールはその場から逃げ出した。

 びっしょり濡れてしまった服で走るのはキツかった。重いし、纏わり付いてくるのだ。クリーチャー達を振り切った時にはファルガールはかなり体力を消耗してしまっていた。
 しかし、休んでなどいられない。
 ファルガールはノートを開いた。

『さて、クリーチャー達を振り切ったら』

「……この野郎、クリーチャーを起こす方を前提にしてやがる」と、ファルガールは悪態をついた。当たっているだけに余計に腹が立つ。

『さて、クリーチャー達を振り切ったら残る仕掛けは後一つだ。その通路は進んで行くに従ってだんだん幅と高さが大きくなって行く。その先に大きな扉があるはずだ』

 オキナの書く通りに廊下はどんどん広く高くなって行きその先に大きな扉が見えた。

『その扉は一日目に手に入れた鍵で開く事ができる』

 ファルガールはポケットに入っている鍵を取り出した。迷宮の大分最初のほうで手に入れたものだ。

(まさかこんなところで使う事になるとはな)

 手に入れ損ねた場合を考えるとゾッとする。

 扉を開けて中に入ると、そこは広い部屋になっており、向かう壁にはもう一つ同じ大きさの扉があった。
 部屋の真ん中には小さな鍵が置かれていた。
 鍵は青、黄、赤の三つあった。

『三つある鍵の内、どれかを選び、向かいにある扉の鍵を開ける。選んだ鍵によっておそらく向こう側が変わる仕組みだろう。鍵のおいてあるテーブルと、鍵に付いているプレートを見てみろ』

 ファルガールはテーブルの傍に言った。
 テーブルには何か意味の分からない文字が刻まれている。
 次にファルガールは鍵を一つ取り上げた。
 鍵にはキーホルダーが付いており、そのプレートにおそらくテーブルのものと同じであろう文字が書かれている。

『テーブルの文字は「汝の望みは何か」と書かれている。対する鍵のほうは青が「操る事」、黄色が「知る事」、赤が「壊す事」となる。
 実はこの選択肢に関しては古文書には何も書かれていなかった。よって自分で考えるしかないわけだが、実はこの部屋に入る時に潜った扉の鍵にもプレートが付いている。
 このプレートの意味は「生む事」。今までの考え方からすると、この鍵が一番適当なのかもしれない。
 だが私はもう一つ選択肢があると思う。
 そして私なりの解答がそれだ。
 大決闘場の入り口を見つけるために、そして古文書を解読する際にいろいろな文献を私は読みあさった。その際に気が付いたのだが、古文書の時代においては“無欲”が至上の美徳とされていたらしい。
 “無欲”、即ち“何も望まない事”。つまり“どの鍵も選ばない”ことが正解。おそらくその扉には鍵など掛かってはいないだろう。
 あくまでもこれは私なりの見解なので、保証は出来ない。よってどの選択肢を選ぶかは君に任せる。
 そして君の判断が正しかった時、おそらく君はその目に見る事ができるだろう』

 ファルガールはそこまで読むと、先程掴んだ鍵をテーブルの上に置き、どの鍵も持たずに扉に歩み寄った。
 そして躊躇せずに開けた。
 その向こうに広がる景観にファルガールは口元に笑みを浮かべた。
 ファルガールはノートを開き、続きの文章を読んで言った。

「あんたの言った通りだ」

 そこにはこう書かれていた。


『そして君の判断が正しかった時、おそらく君はその目に見る事ができるだろう。
 ファトルエルの“ラスファクト”《グインニール》を』

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